自分というヒト、私というひと

撮影をするようになって

自分のことが一番、私は(ここでいう私は頭で認識するもの、に近い)

よくわかんないなと思いました

 

 

でも本当は自分は(ここでいう自分は身体そのもの、に近い)

自分のことをよく「わかって」いて

ただそこに在って、ただ生きているんだな、とも強く感じるようになりました

 

 

 

小さい頃から不思議だったのが

宇宙のことと、身体の中の機能のこと

(とてつもなく大きいことと、自分の内側の小さいこと、その両方)

 

宇宙は、

「無におけるビックバンで生まれた、って、無から有てどういうこと?」

って、

たぶん多くの方が一度は思ったことだとは思いますが、

夜な夜な天井を見上げて考えて怖くなったのをよく憶えてます

 

身体の中は、

「私は心臓を動かそう、とおもってないのに、絶えず心臓は動いている」

という圧倒的な身体に対する尊敬でした

勝てない、という感覚にも近い

 

 

 

 

写真は、そして撮影は、

私が機能するときと、自分が機能(してしまう)ときがあることに気づきました

 

私が機能すると、何かメッセージを感じるし、

自分が機能(してしまう)ときは、美や神秘性を感じます

そして、私は後者のものがすきで、

そこから見る、知る世界を、味わいたいな、

と思います

 

 

 

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撮影中、普通に撮った写真を(これは、私、です)

photo by yasushi